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我慢は美徳じゃない。

  • 執筆者の写真: Pepuco null
    Pepuco null
  • 3月21日
  • 読了時間: 4分

更新日:3月25日



ここ数年、気が向いたら転職活動をしているため、履歴書や職務経歴書をまとめることが1年に1,2回ある。


今回もちょっといいな、という求人を紹介されたので、サイトに登録している経歴と、履歴書・職務経歴書に書かれている経歴、入社・退社年月に記入ミスがないか確認していた。


その時に気づいたのだが、今の会社に入社して8年7ヵ月も経過していた。


8年7ヵ月目、一般社員(役職なし)、実績なし、特別なスキルなし、配偶者もなしである。


自分を痛めつけるのは好きではないが、本当にこの8年間、何をしていたのだろう、と思う。


2019年、入社して3年目を迎えた私はnoteにて、「あまり成長の違いがわからないなー、」と記している。この日記自体も、6年前に書かれたものだということに気づいて驚いてしまった。


現在の会社に入る前までの私は、一つの企業に3年以上勤めたことがなかった。嫌なことや理不尽なことがあるとすぐ仕事の手を抜き、それまで以上にミスが増え、気まずくなって会社を辞めていたように思う。


私は、小さいころからわがままな子だった。我慢することがすごく嫌いで、父親に無理やりやらされていたアルペンスキーのために行っていた夏場のトレーニング(ランニングや筋トレ)が特に嫌いだった。昔からムチムチ体型で運動音痴だったので、走るのも遅かったし筋トレも上手くできず、チームのみんなから笑われていた。でも、みんなと同じようにやらなければいけないと強制されていたことがすごくストレスだった。


小さい頃に戻れたら、という話をよくする人がいるが、私はこの時期に絶対に戻りたくない。他の人も幼少期に同じくらい苦労があったのかもしれないが、私はわがままであるがゆえに、苦手なことを我慢して継続する、意地悪なことを言われても我慢する、というストレスを人よりも強く感じていたのでは、と思っている。


だから、親元を離れ大人になった今は、どうしても我慢をしたくない。


我慢が嫌いなのに、8年も勤めた。なんでこんなに我慢できたんだろう。と最近はずっと考えている。


仕事を続けられたのは、今の会社が良い会社であったこと、あとは、私が少しだけ大人になりどこの職場でも嫌なことや理不尽なことがあるのは変わらない、と気づいたことにある。


嫌なこともたくさんあったしされてきたが、今の会社にはいい人もたくさんいた。評価はされなくても、いい人が同僚や上司になるたびに思いとどまっていたのだと思う。


目先の人間関係やツラいことに目を向けるのではなく、媒体を利用する人に自分の仕事が届くことを改めてイメージして、もう一度がんばろう、もうちょっとがんばろう、と思えていた。


そんなことを深夜に回想し、うん、数ミリかもしれないけど私成長してるじゃないか、と思った。8年かけてやっとわかったんだね。えらいぞ。


今の課長は放牧スタイルで、大雑把で細かいミスが多い私にもいろいろな仕事をさせてくれる。直属の部下になった当初、勇気を出して、面談で私はなかなか評価されない、という話をしたら「うーん……あるあるですね。」と答えてくれた。そう、私の人生そんなもんなのである。私は、初めて上司から、自分が特別ではないと優しく言われたような気がした。


でも、仕事が合わずにツラいなら、我慢する必要なんて全くない。石の上にも3年なんて、我慢することは令和において決して美徳なんかじゃないと思うから。


評価されない、という部分で、私は人一倍悩んできた(ただ単に仕事ができないだけかも、笑)どうすれば評価されるのか、いろんな本や動画や人生相談などを読み漁った結果、評価を気にせずに自分に与えられた仕事を全うし、その結果で返すしかない、という考えに行きついた。


上司が評価してくれない、理想としていた仕事じゃない、人間関係が最悪、と鬱々とする前に、まずは目の前の仕事をひとつずつ、しっかりとやり遂げようとすることで気が紛れるかどうか、試してもいいと思う。


いつか、この会社以外に私を採用してくれて、転職できるときがくるのだろうか。


 
 
 

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